私はここに1ピクセルみたいに存在していて
- 萌え 萌え萌え
- 5月4日
- 読了時間: 3分
久しぶりに友人?(私は友人とそうでない人の境目をつけるのがあまりわかっていない。私にとっては世界の人全員が友人であり、世界の人全員がそうでない人なのだ)
とその知り合いのほぼ初対面の人と複数人で、夜の23時から翌朝の7時くらいまで夜遊びしてビクビクしながらも楽しませてもらったのだけど。
その友人?は職場の同い年の先輩であり部下であって、私の副業先のとあるニッチな雑貨屋さんの紹介で、「借金返せないよー助けてよーでもお仕事したくないよーふえー」って私に、オーナーの紹介で与えてもらった飲食店なんだけど
私はその飲食店に入ってなぜか2ヶ月でマネージャーになって、従業員17名を管理しながら店をぶん回して課題点をミチミチに改善していってるストレスフルな時給700円のウェイターである。そして友人、彼女はその店舗の従業員の一人だ。
神奈川県の福富町で、朝6時。行き交う人を眺めていた。様々な人がいた。初めて行く街にもちゃんと日常が広がっていて、ちゃんとストーリーがある。
いろんなお店に行った。いろんな人種の方がいて、私が関わってはいけないくらい陽キャというか、世界に対して明るい視点を向けている人たちに囲まれて。
いや、きっと、私みたいに内側に果てしない寂しさや苦しさを抱えている人たちにも囲われて。
私はずっと怯えている。今でも。この世界は私にとっては怖すぎた。
怖いのに一人で生きなきゃいけないし、守ってくれる親とか運とか知恵とかセコムとか権力なんて一個もなかったから。この頭をグルンと回して常に最悪を想定しながらも
ずっと受容されることを強く強く期待して生きている。
愛が欲しい。期待してしまう。それでもずっと目の前に
「そんな将来などあるはずない、お前なんかに」
と字幕が表示され続けている。
これは私の弱さだ。私は限界まで酔うと何故か幼児退行してしまう。そんな自分が大嫌い。
だって、もっとちゃんとしなきゃいけないのだ。なのに。
今こんなにもみっともない自分を、少しは許してほしい。
人を信じたい。信じさせて。そしてちゃんと、裏切らないでいて...。
弱さをここで記せるくらいには強くなった。
少しづつだが、等身大の自分を受け入れられている。
ずっと異常と正常の違いがわからないままでいる。現実はぐらついたまま。
僕はいつ狂ったのだろう。嫌だなぁ。
最近自分で自分を触る感覚がなくなっちゃったんです。
多分今、何をしてもあんまり痛いって思いません。
10年くらい前にも同じような感じの時がありました。
夢と現実の違いがだんだんわかんなくなってきちゃいました。
ずっとふわふわしています。全部が嘘だったらいいのになぁ。嫌だなぁ。
僕は存在している?いるのかな?僕は大丈夫ですか?
友人?にぼそっと言われました。
「お前病んでるよ。」
やっぱりそうなんですかね?頑張って正常のふり、上手くなったつもりなんだけどなぁ。
酔っ払った脳みそで、初対面の友人の友人の運転の車に乗って、スピードの加速と共に
遠心力を感じながら、友人の彼女の豊満な胸に頭を預けました。
全てを預けたくなる安心感がありました。
苦しいなぁ。縋りたくなったちゃうなぁ。頼りたくなっちゃうなぁ。
でも私はそれが許されないことを誰よりも知ってるんです。
うん、知ってるんです。いつかの終わりを知ってるんです。
寂しいなぁ。苦しいなぁ。
どうか神様。まともな脳みそをください。
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